イラク戦争で現地出店したファストフードチェーン10社の店舗写真

2003年から始まり、昨年夏に集結したイラク戦争、世界中で様々な論議を醸し出しました。戦争がらみの産業と言うとどうしても軍事産業そのものを考えてしまいますが、戦争中の兵士達も当然日々食事をする必要があるわけで、外食産業も多くイラクに出店していたようです。現地で撮影された店舗写真が、妙にリアリティ溢れる写真達だったので思わず紹介してしまいます。– SEO Japan

2003年、アメリカとイギリスの軍隊がイラクに戻ってきた時―自由化のためもしくは侵略のため、あなたが誰の話を聞いているかによるが―、彼らはすぐに故郷のお気に入りのファストフード店の多くが戦場についてきたことを知った。キャンプ・ビクトリー(バグダッド国際航空近くに置かれたメインのアメリカ軍基地に付いた楽観的な名前)とその他軍事施設には、仮に作った壁の内側にお決まりのジャンクフード店のほとんどが作られたのだ。しかしながら、相次ぐ軍の撤退が原因でその直販店の多くが店をたたむことになるというこの夏の発表を受け、ウェストライン上でのイラク戦争は終わりを迎えているように見える。サダム・フセインはドリトスを好んでいた―しかし、イラクに侵入しているこれらの企業を彼はどう思っただろうか?

10. ピザ・ハット

柔らかい円形の生地の上に豊富なトッピングを乗せた創業53年の専門店、ピザ・ハットはイラクでビジネスを始めた最初の大手ファストフードチェーンの1つだった。彼らの最初のフランチャイズは、バルサ近くのイギリス軍基地近くに作られ、軍人から拍手喝さいを浴びた。そのレストランは、クウェートのフランチャイズ所有者によって経営され、売上げの一部(未公表)がチャリティに寄付された。その後、キャンプ・ビクトリー、バグダッドから40マイル離れたバラドにある巨大軍事施設、イラクの首都から100マイル西にある同様に巨大なアル・アサード航空基地での出店など、次々に支店がオープンした。2004年のビジネスブームのニュースの中で、アメリカ国防総省のプレスリリースには、“1日のあらゆる時間を通して、最低でも50人から75人がゴールデン・フライズかピザの味を求めて列に並んでいる”と書かれていた。

9. バーガー・キング

世界で2番目に大きいハンバーガーチェーン(1番はどこか知っているだろう)は、彼らがバスラ近くに出店した時の2003年からイラクにある。Whopperの本拠地は、さらにいくつかの支店を設け続け、軍人達はタリル、ティクリート、カークック、タジ、キャンプ・リバティで思いのままに買うことができるようになった。2005年、イラク国際ゾーンでのオープニング初日には、新しいBKは平均して1時間に80個以上のWhopper、合計で888個のWhopperと357ポンドのポテトを提供した。その量を扱うには手が2本あっても足りなかっただろう。

8. マクドナルド

バグダッドでの“文化的にデリケートな”マクドナルドの開店は、数年前ジョージ・W・ブッシュのイラクへの構想の一部だった可能性が高いが、そんなビジョンの実態は全く知られていない。本場のビックマックとフライドポテトがバグダッドのグリーンゾーンで手に入れられることができる中、イラクのクルディスタン地域のスライマーニーヤにある模倣レストラン、MaDonalが、より有名になってより収益を上げていることが証明された。以前はクルドの抵抗勢力だったSuleiman Qassab が所有するMaDonalは、特に若者に人気のある成功しているレストランだ。Qassabは、イラクでマクドナルドの公式フランチャイズを申し込んだ大勢の中の1人だが、カナダのGlobe and Mailのジャーナリストによると、“イラクのマクドナルドをオープンする申込手続きは始まった途端に中断し、企業弁護士がスライマーニーヤに来ることはなかった”のだと言う。

7. タコベル

タコベルはアメリカで毎年20億人以上の客に利用されており、イラク侵攻以降、そこに配属されたアメリカ軍人にもそのメキシコ風の食べ物を与えて続けている。キャンプ・ビクトリーを含む様々な陸空軍生活販売業務基地に置かれたタコベルもまた、故郷の味を軍人に与えている人気チェーン店なのだ。しかしながら、ファストフード勤務期間が終わりに近づいているというニュースによって、残される人々は他の選択肢を見つけなければならなくなる。

6. サブウェイ

サブウェイの細長いサンドウィッチも、キャンプ・ビクトリー、アル・アサード航空基地、そして2009年以降はインド人とバングラディッシュ人が恩のある軍人に食べ物を用意して販売していたジョイント・ベース・バラドを含むイラクのアメリカ軍基地で普遍のものだった。98カ国に35,000以上のフランチャイズ店を持つサブウェイという世界的企業は、今のところは減速する兆しは見せていない。とはいえ、イラクでの営業は、少なくとも当面の間は、もうすぐ終了するかもしれない。

5. デイリー・クイーン

イラク、エルビルにデイリー・クイーンの名がある(少なくとも前まではあった)。故郷のよく冷えた味を切望する軍人達は、デイリー・クイーンのアイスクリームを手にするために危険な領域を運転して行くことが知られている。アイス屋クイーンはイラクで冒険する正当な理由になるのだ。イラク国民はアイスクリームが大好きで、年がら年中食べている。一方、デイリー・クイーンの人気商品”火炎放射”グリルバーガーは、販売が厳しいようだ…

4. バスキン・ロビンス

イラクでの戦争には2003年以来毎月120億ドル近くの税金が使われていると経済学者は見積もっている。それだけのお金があればどれだけのアイスクリームが買えることか!サーティーワンアイスクリームとして知られるバスキン・ロビンスは、初期の頃からイラクにあり、軍人に食べ物を出すためにやって来た移民労働者は、何千ものアイスクリームを部隊に提供してきた。このアイスクリーム店は、前進作戦基地をめったに離れないいわゆるFobbitと呼ばれる人達のお気に入りの店だった。この店が基地から撤退した後には、彼らは代わりの店を見つけなければならなくなるだろう。

3. シナボン

キャンプ・タジ、キャンプ・ビクトリー、アル・アサード航空基地、バラドのAAFESに出店していたシナボンの有名な巨大シナモンロールは、イラクでよく売れていた。ジョージア州を拠点とした焼き菓子を扱うこの会社は、過去10年で見違えるほどに成長を遂げている。2009年には世界中30カ国以上に750以上のシナボンベーカリーがあった。しかしながら、2011年12月31日のイラクからの撤退が迫り、この販売店はすでに閉められている。残される部隊はシナモンロールを求めて遠くの戦場まで足を運ばなければならないかもしれない。

2. コカ・コーラ

世界最大のソフトドリンク会社、コカ・コーラは、35年間の不在の後2005年にイラクに戻ってきた。イラクからコカ・コーラが消えた理由は、イスラエルと繋がりのある企業をボイコットするというアラブ連盟の1968年の決定とコカ・コーラがイスラエルを支持しているという感情にあった。2005年、バグダッドの1人のショップオーナーが、“コカ・コーラの缶を鏡に映すと、‘No Allah’と書いてある”という広く信じられている陰謀説を繰り返した。イラクにおけるコカ・コーラの心理戦は、2011年、Coca-Cola Icecekが3,690万ドルでイラクの炭酸飲料製造業者CC Beverageの残っている株を全て買収したというニュースでより簡単になっているかもしれない。恐らく、結局はコカ・コーラがイラク国民の“it”になるのだろう。

1. ペプシ

ペプシはイラクにおいて長い歴史がある。このブランドは1950年にイラクにローンチし、この国のトップソフトドリンクブランドとなった。確かに、長年の間、マーケットリーダーとしてのそのステイタスは確固たるものだった。コカ・コーラは、1967年のアラブ・イスラエル戦争の後の脱落者に続いてその分野を明け渡した。しかしながら、湾岸戦争の後、ペプシはイラクでビジネスをしたりイラクと貿易をする権利を失った。2003年、制裁措置は地元のペプシメーカーにヨーロッパから輸入した偽の濃縮物を使うことを強いたが、イラクでペプシを卸すライセンスを持っているBaghdad Soft Drinks CoのCEO、Hamid Jassim Khamisの努力のおかげで、ペプシはナンバーワンの地位を守っていた。しかしながら、その後は、2005年に戻ってきたコカ・コーラだけでなく、2,600万人の消費者を獲得するために争う他のアラブのソフトドリンクからの試練に直面するのである。


この記事は、Business Punditに掲載された「10 Junk Food Brands That Made a Buck in Iraq」を翻訳した内容です。

掘立小屋でも立派なファストフード店ですね。最近のリアリティ系戦争映画でもこういうシーンは余り見ないので、その非現実的さと現実が同居しているような風景に思わずドキっとしてしまいました。コカコーラの迷彩トラックは流石というかマニア大喜びという感じですけどね。仮に日本の外食産業が戦地に出店するとなるとやっぱり牛丼とかなんでしょうか。

日本にいても世界各地の戦争はニュースで触れられますが、最近の戦争映像はハイテク機器の映像が多くどこかゲームの世界というかリアリティを持って感じられないものが多い気もする中、どこか不思議な現実味を持って迫ってくる写真達でした。 — SEO Japan

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