イノベーションを潰す企業文化

私が関わっているスタートアップデータアーティストにて、新卒採用を今年から始めたのですが、予想以上にベンチャー志向の優秀な学生が多くて驚いています。10年前の日本でこんなことは考えられなかったと思いますが、日本の明るい未来を夢見る若者世代にもチャレンジングな起業文化が育ちつつあるのでしょうか?!こうした若者の多くがベンチャーに期待しているでもあろう、新しい製品、ひいては産業を世の中に産み出していくイノベーションの可能性。大企業は優秀な人材が多い割にイノベーションはいつもベンチャーから生まれるといわれることが多いですが、その真偽はともかくとして、その背景にある原因や理由を考えてみることが、あなたの会社にイノベーション文化を育むきっかけになるかもしれません。全米トップクラスのVCアンドリーセン・ホロウィッツの創業者が語るイノベーションを産む企業文化、イノベーションを潰す企業文化の差とは。 — SEO Japan

神が身体と心に宿り、魂を満たす。憎しみを持つと、心が空っぽになり、態度に表れる。
– リック・ロス 「Hold On」

分別のある人間は世界に合わせ、分別のない人間は世界を自分に合わせることに固執する。そのため、進歩は、分別がないものに左右される。
-ジョージ・バーナード・ショー

最近、新しいテクノロジー企業の欠点を記事で取り上げる行為、コメントを投稿する行為、そして、ツイートを投稿する行為が流行している。近頃は、問題に遭遇したスタートアップ、成功した起業家、あるいは、会社のアイデアをこき下ろすツイートを見ない日はない。どうやら、現在の希望と好奇心に溢れたスタートアップの文化を独りよがりの優越感に置き換える現象が起きているようだ。

この現象の何がいけないのだろうか?トーンが誤った方向に進んでいることを、なぜ気に掛ける必要があるのだろうか?そして、企業の悪い点よりも良い点を探すことは、なぜ重要なのだろうか?

テクノロジーと言うワードは、「より良い方法で物事を行う」ことを指す。言うのは簡単だが、実行に移すのは難しい。情報を保存する優れた方法、流通を改善する方法、あるいは、友達を作るより良い方法を実現するには、長年の人間の経験を改善することを意味するため、非常に難しい。ある意味、何かを改善することは論理的に不可能のように思える。大昔から2014年に至るまで誰も考えなかったことを、考案することが出来るのだろうか?心理学の観点では、飛躍的な発明を行うには、永久に疑念を持ち続けなければならない。テクノロジーのスタートアップ業界には、この「不可能」を想像するために、優秀な人材が集まっている。

私はベンチャーキャピタルの専門家であるため、小規模な企業がいとも簡単にイノベーションを実現しているように見える一方で、大企業が、革新を起こせずに苦労している理由を問われることがよくある。通常、この質問に対する私の答えは、相手を驚かせる。大企業は、素晴らしいアイデアを幾つも抱えている。しかし、新しいアイデアが、追求する価値がある点を大勢の社員に同意してもらう必要があるため、イノベーションを起こすことが出来ないのだ。優秀な社員にアイデアの欠点を指摘されると — 自慢するため、あるいは、権力基盤を固めるため — それだけで、お蔵入りになってしまう。その結果、やる気の出ない文化が生まれる。

イノベーションの難しいところは、驚くような革新的なアイデアは、どうしようもないアイデアに見えてしまう点である。今の今まで、誰一人として、良いアイデアだと考えなかったため、イノベーションがもたらされる。アマゾンやグーグル等の創造力に富む大企業は、イノベーターによって経営されている傾向が見られる。ラリー・ペイジ氏は、一方的に、劣悪に思えるアイデアに投資し、反対意見には耳を傾けない。こうすることで、ペイジ氏は、意欲的な文化を作り出すことに成功したのだ。

テクノロジーのスタートアップ業界を、退化する一方の「やる気のない文化」を持つ単一の大きな企業に変えようとする人達がいる。私は、このような挑戦に真っ向から立ち向かい、この痛ましい傾向を逆転するためにこの記事を作成した。

テクノロジーに対する否定的な発言は、今に始まったことではない。企業や発明が役に立たないと言う指摘が的を射ていることもある。しかし、指摘が正しいケースであっても、もっと重要なポイントを見落としている。この指摘の正しさを証明するため、これから過去を振り返る:

コンピュータ

1837年、チャールズ・バベッジは、アナリティカルエンジンと呼ばれる世界初の汎用コンピュータを作ろうとした。現代では、チューリング完全と呼べるデバイスである。バベッジが作ろうとしていたコンピュータに十分なリソースが与えられていたら、この機械は、現在の強力なコンピュータが、実施することが可能な計算を実行することが出来たはずである。計算スピードは少し遅く、若干大きなスペースを取るかもしれないが(実際には、とても遅く、非常に嵩張るデバイスになっていたはずだ)、バベッジは、現代のコンピュータに引けを取らないコンピュータを開発しようとしていた。当時は、木を使って、蒸気から動力を得る必要があり、コンピュータを作る取り組みは、非常に野心的なプロジェクトであった。結局、バベッジは、実用的なコンピュータを作ることは出来なかった。最終的に、1842年、英国の数学者であり、天文学者であるジョージ・ビドル・エアリーが、アナリティカルエンジンが「役立たず」であり、バベッジのプロジェクトに見切りをつけるよう大蔵省に進言した。英国政府は、その直後、プロジェクトを打ち切る決断を下した。懐疑主義者によって頓挫させられ、世論に忘れられたバベッジのアイデアに世界がようやく追いついたのは、1941年であった。

171年後の現在、バベッジのビジョンが正しく、コンピュータが役立たずではないことは、誰にでも分かる。バベッジの人生から学べる最大の教訓は、100年間生まれるのが早かったことではなく、バベッジが素晴らしいビジョンを持ち、ビジョンを追求する意志を持っていたことだ。チャールズ・バベッジは、今もなお、大きな刺激を大勢の起業家に与えている。一方のジョージ・ビドル・エアリーには、先見の明のない変人と言うイメージがついてしまった。

電話

電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルは、発明品と特許を、当時の電報プロバイダの最大手、ウエスタンユニオンに$100,000で譲ると言う取引を持ち掛けた。ウエスタンユニオンは、内部の委員会からの報告を基に、この取引を断った。このの報告の一部を以下に掲載する:

「電話機は、電信線を介して、話し声を伝送する機械である。しかし、話し声はとても小さく、ほとんど聞き取ることが出来ない点が判明した。また、送信機と受信機の間の電線が長い場合、さらに音量が小さくなる。技術の面で、このデバイスが、今後、数マイルの距離を聞き取れる話し声を送ることが出来るようになるとは考えられない。

常軌を逸したハバードとベルは、「電話機」を全ての街に導入することを望んでいる。実に浅はかなアイデアである。そもそも、電報局に使いを出し、明確に記したメッセージを米国内の全ての都市に送信することが出来るのに、わざわざ、この醜い、非現実的なデバイスを誰が使いたがるのだろうか?

ウエスタンユニオンの電気技師は、今まで、電報の技術を大幅に進化させてきた。現実の問題を全く知らないにも関わらず、大げさで、現実離れしたアイデアを持つ部外者のグループを受け入れる理由は何一つ見当たらない。ガードナー・グリーン・ハバード氏の空想的な推測は、確かに魅力的ではあるが、無謀な想像に基づいており、現状の技術的および経済的事実の理解に欠けていると言わざるを得ない。また、この玩具としか言いようがないデバイスの明らかな欠点を無視する姿勢がありありと見られる。

以上の事実を鑑みて、$100,000で特許を譲渡すると言うガードナー・グリーン・ハバード氏の申し出は、明らかに不当だと考える。このデバイスは、ウエスタンユニオンにとって、役に立たないからだ。購入は薦められない。

インターネット

現在、世論の多くが、インターネットの重要性を認めている。しかし、これはごく最近の現象である。事実、1995年、天文学者のクリフォード・ストールは、ニューズウィークに「ウェブがニルヴァーナにならない理由」と言うタイトルの記事を寄稿し、次のような嘆かわしい分析を行っていた:

そして、サイバービジネスの存在も気になるところだ。一瞬のうちにカタログを見て買い物が出来るらしい — お買い得の製品にカーソルを合わせ、クリックするだけでよい。今後は、ネットワークを介して、航空券を注文し、レストランに予約を入れ、売買を交渉するようになるだろう。店は時代遅れの産物と化すと言われている。しかし、それなら、地元のショッピングモールは、一体どうやって、1ヶ月間のインターネットでの売り上げよりも多くの売り上げを、1日の午後の営業だけで得ることが出来るのだろうか?インターネット上で信頼するに値する送金の手段があったとしても — 今のところ確認できない — このネットワークには、資本主義にとって欠かせない要素、つまり販売員が欠けている。

今回紹介した賢い人達は、同じ過ちを犯している。テクノロジーの強み、そして、今後のポテンシャルではなく、当時の欠点に執着していたのだ。これは、反対論者が最も犯しやすい過ちである。

「やる気の出ない文化」の被害を最も受けるのは、皮肉にも批判に走る人達である。アイデアや会社の欠点に固執すると、恐怖心が生まれ、他の人達が馬鹿馬鹿しいと思うアイデアを試すことが出来なくなってしまう。羨ましいため、優秀なイノベータから教訓を得ることも出来ない。また、頭が固すぎるため、優れた若いエンジニアが、自分よりも先に世界を変えていることに気づかない。その上、嫌味ばかりが先行し、周りに良い刺激を与えることが出来なくなる。その結果、後世に嘲笑されるようになる。

「憎む」のではなく、「創る」ことを意識してもらいたい。


この記事は、ben’s blogに掲載された「Can Do vs. Can’t Do Cultures」を翻訳した内容です。

新しい事業アイデアを考えた時その分野の人に意見を聞くと、とりあえず「厳しい。業界の慣習的に無理。」と否定されることは日常的にある話です。実際そこで諦めていたらイノベーションは絶対に起きないわけですが、コンピュータはともかく、インターネットも想像はつきますが、電話までかつて大否定されていたとは、今の常識の多くが過去の非常識なんですよね。そんな今日の常識をあえて疑ってかかることがイノベーションのきっかけにつながるかもしれないですし、それを突き破って進む一種の狂気ともいえる情熱もイノベーションを産むには必要です。

組織力を強みとしてきた日本企業にとって、イノベーションを育む仕組みを企業文化として持つことはチャレンジなのは想像がつきますし、最近ネットでも話題になっていますが、日本の他者に迷惑をかけないことを美徳とする文化も多少の障害になっている気はします。とはいえ、日本人のイノベーションを産む力は世界でもトップクラスと思いますし、日本でも近年次々に誕生しているスタートアップやベンチャー企業の中から新たなイノベーションが起きひいては日本を活性化することにつながれば素晴らしいですね。私も少しでもそんな現場の一端に入られるよう、頑張っていきたいと思います。 — SEO Japan [G+]

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